4/25 ピンク映画について
図書館で勉強をすることがよくあるのだが、ちょくちょく本をあさっては流し読みしたり、目にとまったところを読んだりしている。
買った本がけっこう並んでいると、損をしたようで腹がたつ。
映画の棚のところでうろうろしていることが多いのだが、今日はなぜかピンク映画の監督の本を読んだ。
40分くらいしか眺めてないので読んだうちに入らないが、自伝みたいな感じだった。
浜野 佐知というけっこう有名な人が著者らしい。300本以上のピンク映画を撮り、何作か普通の映画も撮っていて、白石加代子や吉行和子の有名女優もでている。高校出てから男ばっかりの現場に女一人で飛び込んで、男に負けないようにがんばってきたというようなことが書かれていた。いろいろと苦労したことや、売れてから深作 欣二や大島 渚監督に認められたというようなことが書いてあったのですごい人なんやなーと思った。
本自体の内容はフェミニストっぽい「私はひどい男どもに負けなかった」という肩に力が入った感じの文章で疲れたが、ピンク映画の内情を知れておもしろかった。
この本を読んだからではないのだけど、僕はピンク映画をなんだか「教養科目」の地位に置いている感がある。ピンク映画に何か「権威」みたいなものを感じている。
「ピンク映画も見たことないやつがなにも言う資格ない。」という脅迫観念がある。
なんでだろうか。AVは別に見てなくても詳しくなくても何も思わないが、ピンク映画を全然知らないやつが「映画マニア」とか言ってるとなんか嘘者のような感じがする。
なんでだろうか。僕はピンク映画のことを「下ネタ言えて一人前。彼女作って一人前。童貞捨てて一人前。風俗行って一人前。」みたいな、汚れを知った大人の男社会に入れてもらうための通過儀礼のようなものだとどこかで考えているのだろうか。
確かに、AVとピンク映画では見るのに要る度胸の差が歴然としている。AVを初めて見る時は大概中学とかで友達と面白がって見るもんだが、一人で見る時は期待で胸が膨らむことはあってもストレスはなかったはずだ。一方、ピンク映画はあんな危なそうな空間に入るのには度胸が要る上、もし勇気を振り絞って入れても、あんなイカ臭そうなところでオッサンどもに囲まれながら興奮できる保障はないわけで、ピンク映画を見に行くのは通過儀礼以外の何ものでもない気がする。
考えてみれば、「昨日はちょっとストリップ劇場にいってきてよー。」とか言われたら、なんか自分が世間知らずのボンボンみたいに思えて恥ずかしくなることがある。
僕はこういう「一人前」に見られるための誇示だけに使われる下ネタを聞くとムカつくが、それでも「風俗もSMもスカトロもなんでも経験しました。」というやつを前にするとやはり萎縮する。まあ、あんまりいきすぎるとただのキチガイだが。
僕もこういう観念を共有しているからピンク映画に権威を感じるのだろうか。
それもあるかもしれないが、通好みする映画監督達がけっこう日活ロマンポルノ出身っていうのがあるかも知れない。「回路」とか「CURE」の黒沢 清や、「黄泉がえり」の塩田 明彦は「神田川淫乱戦争」を撮ってるし、「Shall we ダンス?」の周防 正行は「変態家族 兄貴の嫁さん」を撮ってる。今年の映画ベスト30の中で小難しいヌーヴェルヴァーグに混じって「神田川淫乱戦争」をあげてる映画評論家もいる。
だから、「ピンク映画の中からすごい映画を見抜けないやつはダメだ」という意識がつくられてしまったらしい。
でも、たまたま才能ある監督が日活にいただけで別にピンク映画がすごいということにはならない。
僕は風俗やAVやポルノ映画やストリップ劇場に変に価値付けするのをやめようと思う。
AV女優が仕事を誇りに思ってます的なドキュメンタリーとか、ポルノ映画やストリップの舞台裏の苦労とか本で読んだりすると、なんだかポルノって低俗なもののように思ってたけど実はそんなことなくて我々が誤解していたのではないか。と思わされたりすることもあるが、やっぱりそんな上等なものではないと思う。
そんな低俗なものではないかもしれないが、そんな上等なものでもないと思う。
「価値観の多様性」の大義名分の下に「やっぱりこういうのもアリやんな?」ということで、ポルノの地位が上がってどんどん公然にでてくるときっとよくないことになると思う。ポルノは今の地位にいるのがちょうどいいと思う。
女性器がドアップにされてる映像みてもなにもおもしろくないのといっしょだ。隠されているから見たいわけで、隠されていないものなんかつまらない。
セックスの話は、「変態のオタク監督が自分の欲望のためだけにレイプと暴力の映画作ったら案外おもしろいのができちゃいました。」くらいのアングラ感でちょうどいいと思う。
買った本がけっこう並んでいると、損をしたようで腹がたつ。
映画の棚のところでうろうろしていることが多いのだが、今日はなぜかピンク映画の監督の本を読んだ。
40分くらいしか眺めてないので読んだうちに入らないが、自伝みたいな感じだった。
浜野 佐知というけっこう有名な人が著者らしい。300本以上のピンク映画を撮り、何作か普通の映画も撮っていて、白石加代子や吉行和子の有名女優もでている。高校出てから男ばっかりの現場に女一人で飛び込んで、男に負けないようにがんばってきたというようなことが書かれていた。いろいろと苦労したことや、売れてから深作 欣二や大島 渚監督に認められたというようなことが書いてあったのですごい人なんやなーと思った。
本自体の内容はフェミニストっぽい「私はひどい男どもに負けなかった」という肩に力が入った感じの文章で疲れたが、ピンク映画の内情を知れておもしろかった。
この本を読んだからではないのだけど、僕はピンク映画をなんだか「教養科目」の地位に置いている感がある。ピンク映画に何か「権威」みたいなものを感じている。
「ピンク映画も見たことないやつがなにも言う資格ない。」という脅迫観念がある。
なんでだろうか。AVは別に見てなくても詳しくなくても何も思わないが、ピンク映画を全然知らないやつが「映画マニア」とか言ってるとなんか嘘者のような感じがする。
なんでだろうか。僕はピンク映画のことを「下ネタ言えて一人前。彼女作って一人前。童貞捨てて一人前。風俗行って一人前。」みたいな、汚れを知った大人の男社会に入れてもらうための通過儀礼のようなものだとどこかで考えているのだろうか。
確かに、AVとピンク映画では見るのに要る度胸の差が歴然としている。AVを初めて見る時は大概中学とかで友達と面白がって見るもんだが、一人で見る時は期待で胸が膨らむことはあってもストレスはなかったはずだ。一方、ピンク映画はあんな危なそうな空間に入るのには度胸が要る上、もし勇気を振り絞って入れても、あんなイカ臭そうなところでオッサンどもに囲まれながら興奮できる保障はないわけで、ピンク映画を見に行くのは通過儀礼以外の何ものでもない気がする。
考えてみれば、「昨日はちょっとストリップ劇場にいってきてよー。」とか言われたら、なんか自分が世間知らずのボンボンみたいに思えて恥ずかしくなることがある。
僕はこういう「一人前」に見られるための誇示だけに使われる下ネタを聞くとムカつくが、それでも「風俗もSMもスカトロもなんでも経験しました。」というやつを前にするとやはり萎縮する。まあ、あんまりいきすぎるとただのキチガイだが。
僕もこういう観念を共有しているからピンク映画に権威を感じるのだろうか。
それもあるかもしれないが、通好みする映画監督達がけっこう日活ロマンポルノ出身っていうのがあるかも知れない。「回路」とか「CURE」の黒沢 清や、「黄泉がえり」の塩田 明彦は「神田川淫乱戦争」を撮ってるし、「Shall we ダンス?」の周防 正行は「変態家族 兄貴の嫁さん」を撮ってる。今年の映画ベスト30の中で小難しいヌーヴェルヴァーグに混じって「神田川淫乱戦争」をあげてる映画評論家もいる。
だから、「ピンク映画の中からすごい映画を見抜けないやつはダメだ」という意識がつくられてしまったらしい。
でも、たまたま才能ある監督が日活にいただけで別にピンク映画がすごいということにはならない。
僕は風俗やAVやポルノ映画やストリップ劇場に変に価値付けするのをやめようと思う。
AV女優が仕事を誇りに思ってます的なドキュメンタリーとか、ポルノ映画やストリップの舞台裏の苦労とか本で読んだりすると、なんだかポルノって低俗なもののように思ってたけど実はそんなことなくて我々が誤解していたのではないか。と思わされたりすることもあるが、やっぱりそんな上等なものではないと思う。
そんな低俗なものではないかもしれないが、そんな上等なものでもないと思う。
「価値観の多様性」の大義名分の下に「やっぱりこういうのもアリやんな?」ということで、ポルノの地位が上がってどんどん公然にでてくるときっとよくないことになると思う。ポルノは今の地位にいるのがちょうどいいと思う。
女性器がドアップにされてる映像みてもなにもおもしろくないのといっしょだ。隠されているから見たいわけで、隠されていないものなんかつまらない。
セックスの話は、「変態のオタク監督が自分の欲望のためだけにレイプと暴力の映画作ったら案外おもしろいのができちゃいました。」くらいのアングラ感でちょうどいいと思う。
by noridawa
| 2007-04-26 00:27
| メディア